ノルウェイの森ってそもそも何?
2009年 07月 26日
上の写真はCUTの初出しのものですが、いいですねー、この、クールで無気力そうだけど中ではいろいろ考えてそうな表情が。どことなくセクシーな感じもありつつ。(それはワタナベには不可欠ですよね)
実は、ビートルズの「ノルウェイの森」を聴いたことがなかったんですよーーー。
ようつべで探してみたら、ケンさんの写真や、小説「ノルウェイの森」の名言が
散りばめられた素敵な作品を発見したので、紹介しますね★
で、
そもそもノルウェイの森って題名はなに?ってことについてすこし語ってみようと思います。
1970年には産まれてもいなかった私、ビートルズをリアルタイムで聴いていた世代からは遠く
隔たっているので、ビートルズのノルウェイの森も、小説「ノルウェイの森」に出てくるさまざまな音楽も
全然知りません。
村上春樹の作品は音楽に溢れていますが、出てくる曲はクラシック以外は
だいたい知らない曲ばっかりで、その曲の持つイメージを共有できていないことがさびしく思われます。
レイコさんが次々と弾く曲なんかも「ああ、それね」って思えないのが悲しいです。。。
でもやはり、「ノルウェイの森」を読むにあたって、「ノルウェイの森」ってそもそもどんな曲?
ってことは最低限知っておくべきだろうと思い。
ようつべをあたっていたら、素敵ななものを発見してしまいました。
お借りしまーーーす、ありがとうございます★
いいですねいいですね!!!ケンさんをはじめとする俳優さんたちの姿と、
ノルウェイの森の秀逸な言葉と、ビートルズの「ノルウェイの森」が重なって、なんだか
感動しました。この曲、風がすーーーっと過ぎていく感じというか、無気力感とか、
さみしさとか、孤独とか、そういうものが浮ついたようなリズムに乗って流れていって、
ああ、まさに「ノルウェイの森」だなぁ。と。
都会のひとごみの中を歩いていて、ふと立ち止まったとしても、人々は自分とは無関係に、
それぞれの目的のために歩き続けている。みんな自分のことに一生懸命になっている。
こんなにたくさん人がいるのに、誰も自分を振り返りはしない。
この広い世界で、自分はただ一人だ。
っていうような種類のおぼつかなさを喚起させる曲だと思いました。
で、次は歌詞について。
歌詞の内容は、こんな感じです。
男が女の子の部屋に誘われて行く。
女の子は「どこでも好きなとこ座って」と言うけれど
椅子なんてどこにもないのでしかたなくカーペットの上に座る。
しかも女の子は「私 朝早くから仕事なの」といきなり釘をさす。
ワインを飲んでご機嫌を伺って、夜中の2時まで話し込み、
結局何もしないまま男はバスタブで寝て、
目が覚めると女の子はいなくなっていた。
ひとり取り残された男は、暖炉に火をつけた。
すてきじゃないか、ノルウェイの森。
あれ?と思いません?森?ノルウェイの森には歌詞の内容とどう関係が?
Norwegian Woodはノルウェイ風の家だとか、当時流行ったノルウェイ製の家具だとか、
そんな風に訳されたりもしています。確かにその方が意味は通じるんですが。
さいごの「暖炉に火をつけた」は原文は"SO I LIT A FIRE"ですが、これを、暖炉にじゃなくて
女の子のノルウェイ風の家に火をつけたと解釈する訳もあるようです。
期待してたのにヤれなかったから腹いせに放火したってこと?
こんな話もあります。村上さん自身が、ジョージ・ハリスンの関係者の女性から聞いた話として、
ルーディーズクラブ1994年vol.3(夏号)という雑誌に投稿しているそうなのですが、
最初のタイトルは"Knowing She Would”(歌詞にあてはめると、
「彼女がやらせてくれるってわかってるのは素敵だよな」ということ)
だったが、レコード会社に「下品だろ!」と怒られて、発音の近い
"Norwegian Wood"にしたという。
なんかその説が一番わかる気がしますけれどね。
そんなわけで、この歌はなんだか謎めいてます。他にも、なんで椅子がないのかとか、
バスタブで寝るって?とか、謎はいろいろあります。
"Norwegian Wood"が何を意味するのかは置いといて、のるうぃじゃん うっど って響きが、
なんともいえず耳慣れない感じがして、よいですよね。フォンテーヌブローの森とかじゃなくて
ノルウェイの森だからこそ、どこだかよくわからないけど、とにかく寒くて遠いところの森って
いう、具体性のなさが醸し出されるんですよね。
「ノルウェイの森」にはシタールが使われているらしいですが、その音色によってどこか遠いところから
エキゾチックさを孕んだ風が吹いてくるような雰囲気もでていますね。
"Norwegian Wood"
それはどこでもない、どこか。
小説はこんな風に締めくくられてます。
いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の
姿だけだった。僕はどこでもない場所の真ん中から緑を呼び続けていた。
「ノルウェイの森」ははじめ「雨の中の庭」という題名だったそう。
春樹さんは題名について迷っていたので、奥様に読ませ、意見を聞いてみたら
「ノルウェイの森でいいんじゃない?」て言われ、結局「ノルウェイの森」になったという。
「雨の中の庭」も素敵なタイトルだと思います。作品の中ではよく雨が降っています。
直子の20歳の誕生日も雨でした。ワタナベと直子が最初で最後の肉体関係をもつ日。
しかもそれが直子にとって最初で最後の男性経験となるわけなんですが。
その晩、突如として直子は泣き出すのですが、
彼女の涙は「大きな音をたててレコードジャケットの上に落ち」、それからあとはとめどなく流れ落ち
ていきます。「誰かがそんなに激しく泣いたのを見たのははじめてだった」というくらい、号泣します。
これが雨のイメージとぴったり重なるんです。
朝になると雨は止んでいて、直子の体は「凍りついたように固く」なり、ぴくりとも動かなくなってしまいます。
別の場面での「雨」を紹介します。阿美寮(山奥にある、精神を病んだ人のための治療施設。
直子はそこで暮らしている)にワタナベが行き、同室のレイコさんと3人でいるときのこと。
直子がこんなことをいいます。
「こんな風に雨が降っているとまるで世界には私たち三人しかいないって気がするわね」
「ずっと雨が降ったら、私たち三人ずっとこうしてられるのに」
ここでは雨は、親密でプライベートな空間を作りだすものの表象として描かれています。
さきほど紹介した直子の誕生日の「雨」とは逆ですね。
ほかでも、作品のなかではことあるごとに雨が降っているし、「ぬかるみ」ということばもよく出てくるし、
こうして考えてみると、雨がタイトルから消えたのはちょっと残念なことのようにも思えます。
でも、もし題名が「雨の中の庭」だったら、この小説には一世を風靡するほどの訴求力はもしかしたらなかったかもしれない。
「ノルウェイの森」は時代の空気にも小説世界を支配するアトモスフィアーにも、ぴったりだったんですね。
それに、なんといっても小説の締めくくりが、先ほど引用したとおり「いったいここはどこなんだ?」です
からね。やっぱりこの小説は「ノルウェイの森」以外の何かではありえないですね。
春樹さんの奥様・・・さすがです。神ですね・・・。
「ノルウェイの森」が抱える感情は現代にも連綿と続いているものであり、だからこそ、この作品は
今も変わらず人々の心をとらえ続けているのだと思います。
「ノルウェイの森」は20年経っても少しも懐古的な作品にはなっておらず、むしろ新しい物語
という感じがします。
そこには現代の私たちにとっても、近しい感情がたくさんつまっているからだと思います。
by sora10305
| 2009-07-26 14:59
| ノルウェイの森