かなでと申します。松山ケンイチとオリジナル小説のブログです。要するに日々の萌えについて綴ってます。メールはkenkenken10305あっとまーくyahoo.co.jpまでお気軽にどーぞ☆


by sora10305
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ウルミラ・・・いなくなっても、そこにいるもの

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そう、このことが、とっても語りたかったんです。
ネタバレになってしまうので、まだ上映中だし、これから上映になる地域の方に申し訳ないし、
控えておこうかと思ったんですが。
ちょっと、この辺で言っておかないと、「王様の耳はロバの耳」みたいにお腹が膨れてきて
しまそうなので、語らせていただきます。
映画『蟹工船』を観てきたので、その感想も書きたいんですが、とりあえず『ウルミラ』を語らない
ことにはどうしようもなく・・・蟹工船は明日か明後日にしておきます。
そちらもよかったらまた覗きに来て下さいね(^^;)
松山さんは出てないですが、銭ゲバの、あの社長を殺っちゃったお友達役の、
柄本時生さんが出てましたよん★
松山さんが大好きだという、柄本さんですからね。それだけで親近感沸きますよ笑

・・・そんなわけで、ネタバレありのウルミラ語りがはじまります。



人(不特定多数の「人」ではなく、自分が関わった対象としての「人」)が死ぬってことは、その人に関わったあらゆる人が、己の一部を失うということ。
お葬式はもちろん、死者の弔いのために行うものですが、同時に、その人を失ってもなお、これからも生きていかなければならない人たちが、死を受け入れ、自分の中に生じた欠損について認識し、それを抱えて生きていかなければならないということを理解するために、行うものでもあるのです。

多分、歯を抜かれるみたいなものなんだと思います。自分と関わった人を喪うのは。
歯を抜いているときは、麻酔が効いているので、あまり何も感じませんが、後になって、ずきずきと痛み出したり、ちょっとしたきっかけで血が出てきたりするものです。
でも、時間が経てば、痛みを感じなくなり、傷口は塞がって、そこに歯があったことを、普段の生活では認識しなくなります。

それは忘れるということ。日々の生活に流されているうちに悲しみも記憶も風化していってしまい、あんなに大事だった人の顔もはっきりとは思い出せなくなってくる。そういうことです。

そのことの、どうしようもない切なさと、忘れることに甘んじられない不器用な純粋さを切々と描いたのが、『ノルウェイの森』だと思います。前者を引き受ける役目を主人公が、後者を直子が担っています。

死んだ人のことを、忘れていくことは、生きていく上で必要なことであり、自然なことでもあります。
傷口が自然に塞がっていくのと同じように、激しい悲しみも喪失感も、生きていくうちに徐々に薄れていきます。
それが普通なのですが、ウルミラの場合は違います。

ウルミラの最後を観て、理屈ではなく、陽人は、不滅だ、と感じました。
感じたというか、確信に近い感覚を抱きました。この人は過去の人にはならない。この人のことは忘れられてなんかいかない。

いやむしろ、この人は、死んだけれどもいなくなってなんかない。みんなの中に存在し続けている。
それは妙に明るいお葬式のせいかもしれないし、孫の葬式の日にも、黙々と農作業をしているモツさんの黄色い帽子のせいかもしれないし、子供たちの破天荒さのせいかもしれない。あるいはテープに録音された陽人の声のせいでもあり、微妙なずれを保ったまま、時を刻み続ける時計たちのせいでもあるでしょう。

なんにせよ、陽人は、「いなくなっても、そこにいるもの」なのです。

私には、あのお葬式のシーンから、最後まで、不在であるはずの陽人の「存在」が感じられてなりません。何度観てもそうです。画面のあらゆるところから、陽人の温度や、息遣い、明るさを感じ取ってしまうのです。陽人は、そこにいる。何故と言われても明確な根拠を示すことはできませんが、確かにいるんです。そう思いながら観ていると、森の中で、ほんとに陽人の声が聞こえてきます。それで、ああほら、やっぱり、と思います。

ウルミラの最後、何故、陽人は「脳みそだけはいじらないでほしい。町子先生にあげる」と言っていたのに、町子はその脳みそを投げ捨ててしてしまうのか。
それは、いろんな意味でもう必要ないものだから。

町子は陽人の声を森の中で聞きました。そしてわかったんです。陽人は、死んだって、そこにいるということが。そして、その声を聞くために、耳を澄ますことが、大事なんだと。

生きるということは多くの人を喪っていくということです。
「カミサマ」が言うように、生きていく私たちは、その死人たちの声に、じっと耳を澄ませなければならない。
何しゃべってるんだかわからなくても、ただひたすら、じーーーっと。

そのことも、ここでつながるんですね。死人の声に耳を澄ませている限りは、その人が記憶のかなたに沈んでいくこともない。よく聞こえなくても、耳を澄まし続けること、そうすれば、大事なものをつなぎとめておくことができる。

そのために必要なのは、脳みそではないんです。

陽人は死してもなお存在しつづける。まさにミラクルなファンタジーです。

『ノルウェイの森』は徹底したリアリズムの小説だといいます。だからそこに書かれる生も死も、すごくリアルで、ある意味苦しくて、入り組んだ、微妙なものです。

ウルミラはリアリズム的死生観の対極にあるという意味でも、ファンタジーだと思います。
生も死も簡単に乗り越えて、光で包み込むような、強さを持っています。
死すらも、希望に満ちた、恐るべきファンタジーの世界です。

少しの白々しさも、嘘くささも感じずに、こんなに前向きな気分になれる映画に、初めて出会いました。

そうそう、余談ですが、森の中で聞こえてくる陽人の声って、ジャガイモの作り方をじいちゃんのテープの上に重ねて自分流にしたものですよね。

友人の太に、今年はイモ掘りのリーダーだから、イモをちゃんと育てねばまいねーの!とかって言ってたので、イモの作り方を責任持って伝えようとしたのかもしれません。
ホワイトボードにも「じぶんが死んだら、からだは東京のの病院に・・・」って書いてあったし、もうすでに1回死んでるし長くはないだろうとは悟ってたようですね。
このテープ、町子先生になにか遺してあげなきゃ、的に作られたものなんでしょうか。

「また来年」って、自分がいなくなっても、これ聞いてイモ堀大会続けてねってことなんでしょうか。
泣けます・・・・。

あと、良く聞くと、土を耕すとか、ナナホシテントウをアブラムシと戦わせるとか言ってて、農薬に頼ってないじゃん!!って、なんだか感心しました。
「脳みそとか農薬とか、そんなものに頼ったって、しょうがないじゃない!!」
「脳みそなんかなくたって、散歩できるでしょ」
・・・・んだ、んだ。
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by sora10305 | 2009-07-14 03:07 | ウルトラミラクルラブストーリー