かなでと申します。松山ケンイチとオリジナル小説のブログです。要するに日々の萌えについて綴ってます。メールはkenkenken10305あっとまーくyahoo.co.jpまでお気軽にどーぞ☆


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ウルトラミラクルラブストーリーの「衝撃のラスト」について

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久々にウルミラを語りたくなりました。
題名から予測されることとは反して、別にネタバレはしません。
でも、観た人と観ていない人とでは、違うものを感じ取れるような内容には
なっていると思います。(もちろん、鑑賞後に読んで欲しいなぁとは思います☆)
あのラストシーンには「希望」を篭めたと、横浜監督はおっしゃいました。
「希望」って?
私は思うんです。この世界には「現実」に属するものと、そうでないものがあると。
「現実」に属さないものは、確かにあるんです。存在するんです。
笑い飛ばしたって、無視したって、いなくなりはしないんです。
「現実」に属さないものからの、呼びかけ。そこにあるリアリティ。
それが現実世界に投げかける「希望」。そういう意味での希望なのかなぁ。
・・・なんてことを書いてます。よろしければ続きをどうぞ。




「ウルミラ」はたくさん余白のある作品だと思います。
「良い作品」なんて、上から目線で、評価するみたいに言うのはイヤだけれど、
他に適切な言葉が見つからないので、仮にそういう言葉をあてさせてもらいますが、
いわゆる「良い作品」は、得てして多くの余白を抱えている。
だからこそ、多くの人がその世界に入って行けるし、その世界から何かを持ち帰ってこれる
のだと思います。
一見、誰にとっても入りやすい世界であっても、そこに内容と、余白がなければ、
受け手側は何も持ち帰ることができない。
そういうものは一発ネタのお笑い芸人のように、時が経てば忘れ去られていくのです。

また、綿密にプロットが立てられ、ストーリーが造りこまれ、その結果
余白をなくした作品には誰も入っていけない。
そういう作品の世界は一時的には受け手の精神を刺激し、興奮をもたらすかもしれませんが、
その「物語」と「受け手」はさして親密な関係にはなれないのです。

ウルミラの世界は、その「余白」に観客たちを快く迎え入れ、暖かくもてなし、しかも
様々なお土産を持たせてくれます。
ラストでは、観客たちは居心地のよい空間から強引に追い出され、
現実世界につき返されますけど(笑)

・・・だからこそ、私たちはウルミラを観たあとに何かを語りたくなるのでしょう。
ウルミラ世界から持ち帰ってきたものを、いとおしげに、眺めたり、ひっくり返したり、
したくなるのでしょう。

そんなわけで、ウルミラは様々な言説に取り囲まれています。

あの、ラストシーンについても、いろいろ難しい理論を用いて解釈されたりしています。
でもそういうのって、高尚な言葉遊びみたいなものなのでは?と思ってしまうんです。

あるいは、ウルミラには解釈なんか必要ないのでは、と、私は思います。
陽人の行動や、奇想天外な物語の展開や、あのラストシーンにしたって、説明なんかいらないのです。
それはこういうことではないか、と思わせる部分を
村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』第三部から見つけてしまったので、引っ張ってみます。
〈主人公の知り合いの女の子が、主人公に宛てた手紙の中の、一節です。)

さて私は思うのですが、世の中の人々の多くは人生とか世界というものは、多少の例外はあるものの、
基本的にシュビ一貫した場所であると(あるいはそうであるべきだと)考えて生きているのではないでしょうか。
まわりの人たちと話をしていて、よくそう思わされるときがあります。なにかが起こると、
それが社会的なことであっても個人的なことであっても、人はよく「つまりそれは、あれがそうだから、
そうなったんだ」というようなことを口にして、多くのばあいみんなも「ああそうか、なるほど」となっとくして
しまうわけだけれど、でも私にはそれがもうひとつよくわからないのです。「あれがこうだ」「だからそうなった」
というのは、ちょうど電子レンジに「茶碗むしのもと」をいれてスイッチを押して、チンとなってふたをあけたら
茶碗むしができていたというのと同じで、全然なんの説明にもなってないんじゃないかしら。つまりスイッチとチンとのあいだに実際になにが起こっているのか、ふたを閉めちゃったらまったくわからないんだものね。「茶碗むしのもと」はみんなの知らないあいだに暗闇の中で一回マカロニ・グラタンに変身して、それからまたくるっと茶碗むしに戻っているかもしれないじゃない。(中略)わたしはむしろ、「茶碗むしのもと」を入れてチンしてふたをあけたらたまにマカロニ・グラタンが出てくる、なんていう方がほっとしちゃうのね。


茶碗むしのもとをチンしたら、たまにマカロニ・グラタンになったとしても、誰も驚かないのが、ウルミラの世界。
茶碗むしのもとをチンしたら、茶碗むししか出来上がらないのが、現実世界。

何でもありうる。何にでもなれる。何でもできるかもしれない。強い思いさえあれば。
そういう可能性って、「希望」に満ちていると思いませんか?
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by sora10305 | 2009-07-05 22:34 | ウルトラミラクルラブストーリー