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かなでと申します。松山ケンイチとオリジナル小説のブログです。要するに日々の萌えについて綴ってます。メールはkenkenken10305あっとまーくyahoo.co.jpまでお気軽にどーぞ☆


by sora10305
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村上春樹が語る、小説『ノルウェイの森』

「100パーセントの恋愛」であり、村上春樹の作品の中で「唯一のリアリズム小説」である
『ノルウェイの森』。村上さん自身はこの小説をどう捉えているのでしょう?
村上さん自身の言葉から探っていきます。



「村上春樹全作品 1979~1989 ⑥ ノルウェイの森」(講談社,1991)の序文にあたる、

「自作を語る」
100パーセント・リアリズムへの挑戦

と題された小冊子で、村上さんは『ノルウェイの森』について以下のように語っています。
(ちなみに引用部分に出てくるカジュアリティーズという言葉は、辞書的には事故などの死傷者、被害者、または損害を受けた物、損失物という意味です)

そしてこの話は基本的にカジュアリティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)についての話なのだ。それは僕のまわりで死んでいった、あるいは失われていったすくなからざるカジュアリティーズについての話であり、あるいは僕自身の中で死んで失われていったすくなからざるカジュアリティーズについての話である。僕がここで本当に描きたかったのは恋愛の姿ではなく、むしろカジュアリティーズの姿であり、そのカジュアリティーズのあとに残って存続していかなければならない人々の、あるいは物事の姿である。成長というのはまさにそういうことなのだ。それは人々が孤独に戦い、傷つき、失われ、失い、そしてにもかかわらず生き延びていくことなのだ。
(傍点省略)

ここでいう成長というのは、日常的に使われているような意味合いとは若干異なるように思います。なにかができるようになるとか、大人になるとか、精神的に許容範囲が広まるとか、そういう、プラスの意味合いに直結するようなこととは、多少違うように思います。
「人々が孤独に戦い、傷つき、失われ、失い、そしてにもかかわらず生き延びていくこと」…「にもかかわらず」の部分に原文には傍点がついているのですが、この「にもかかわらず」が重要だと思います。大事な人や大切な何かを失ったとしても、それでも人は生きていかなければならない。生き延びていく、というのは、自らの意志で生きていくというニュアンスではありません。むしろ受動的なニュアンスを含むように聞こえます。

多くを失いながら、自分は生き延びていく、だから「喪失」の記憶を葬り去ってはならない。

そういうことを「成長」という言葉で包んでいるようなのです。

「100パーセントの恋愛小説」というのは、『ノルウェイの森』のコピーとして村上さん自身の
希望で本の帯に入れられた言葉だそうですが、それについては、「こういう小説を出すことに
対する言うなれば僕なりのエクスキューズであった」(エクスキューズは言い訳、弁解の意)と述べています。
その上で、この小説は「正確な意味では恋愛小説とは言えない」と言います。

村上さんはこの小説が「ただの普通のリアリズム小説」であることを印象付けるために、
「100パーセントの恋愛小説」という文言を帯に入れたそうなのですが、
その言葉のイメージだけが一人歩きして、
『ノルウェイの森』がしばしば純粋な恋愛小説としての観点から評論されるように
なってしまったことに、戸惑いを感じているのだそうです。

序文で、その戸惑いについて言及したのち、次のように述べます。
「この小説をあえて定義づけるなら、成長小説という方が近いだろうと僕は思っている」

成長小説。
主人公ワタナベが受け入れていかなければならないもの、
乗り越えていかなければならないもの、
でも決して忘れてはならないもの、
そういうものを全てひっくるめた、「成長」。
村上さんは「成長というのはまさにそういうことなのだ」とおっしゃっいます。

私の勉強不足のせいなのですが、リアリズム小説と言われても
どういうものを指すのかはよくわかりません。
ディケンズやゴーゴリ、サッカレーらが書いている小説のことを言うそうですが、
どんなものか、と言われても実感がわきません。

ただ、ひとりの青年の「成長」を写実的に描いた作品、といえば
なんとなくイメージが持てる気がします。

この長大な作品をどうやって2~3時間の映像作品にするのか、想像もつきませんが、
なにしろトラン・アン・ユン監督が4年の歳月を費やして、いままで20年間
『ノルウェイの森』の映像化を拒み続けてきた村上さんを説得し、英語で書いた脚本を
村上さんに見せて、やっとのことでOKをもらい、実現した映画化、なのですから。

映画の方も「成長」の物語となるに違いない、と、勝手に思っている私です。

そういえば松山さんは、ウルミラのインタビューで、
「僕は1つの作品ごとに進化していると思います」とおっしゃっていましたが
ワタナベ演じることによって、ワタナベと共にさらなる「成長」を遂げるのでしょうね。
by sora10305 | 2009-06-28 07:48 | ノルウェイの森